明治生まれの亡き祖父は、20代前半の時にお惣菜屋さんを営んでいました。
2.26事件があった時、店の前を兵隊さんが沢山通って行ったと話していましたので、昭和11年頃の話になります。
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明治生まれの祖父
祖父は、10代の頃に実母を病気で亡くしています。
その後、父親が再婚し、2人の腹違いの弟が生まれました。
祖父の両親は、当時としてはちょっと小金があったのでしょう。
祖父は、大学に進学をしました。
でも、大学に進学するとまもなく父親が病に倒れ
- 父親の療養費
- 継母の生活費
- 腹違いの弟2人の教育&生活費
を、捻出しなくてはならなくなりました。
そこで料理が得意だった祖父は、お惣菜屋を開業しました。
第二次世界大戦が始まるまで、営業をしていたそうです。
お金に困らなかった幼少時とは一転し、一家の大黒柱となってからは、とても苦労をしたと話していました。
お金がないのは、首がないのと一緒
戦後、サラリーマンになった祖父は、4人の子供を育てあげて、定年退職後は足が弱くなった祖母の代わりに、献立を考えて買い物へ行き、料理を作るといった主夫業をこなしていました。
戦前、戦後の激動期の中、生き抜いた人だけに、お金のありがたさを今の人以上に感じていたのでしょう。
口ぐせが「お金がないのは、首がないのと一緒」でした。
- 10代から20代にかけては、親たちを養うために働き
- 20代から60代までは、子どもたちを養うために働き
- 60代から80代までは、子どもたちに平等に財産を残すために節約
そんな人生でした。
一言で祖父の人生を言うなら「奉仕」です。
お金の価値
お金を作るために、かかる費用つまり原価は幾らかかるかご存知ですか?
1円玉⇒3円
5円玉⇒7円
10円玉⇒10円
50円玉 ⇒20円
100円玉 ⇒25円
500円玉 ⇒30円
1,000円札⇒14.5円
5,000円札⇒20.7円
1万円札 ⇒22.2円
です。
それが、国の信用がついて初めて、印字されている数字の価値がつき、22.2円だった1万円札が、1万円として使えるようになります。
国の信用に守られて、知識をお金で得たり、物を買ったりしています。
信用があるから、価値が生まれるお金ですが、使い方によって色々な意味を持つお金になります。
祖父は、お金の価値や、お金によって人生が翻弄されることを分かっていての行動だったのでしょうけれど、当時若かった私はケチな人としか思ってはいませんでした。
それは
- 電気を点けたら、すぐ消す。
- 水道水は使わないで、井戸水を使え。
- ストーブは使うな。
- クーラーは使わず、窓を開けろ。
全てにおいて、細かく指図されるので、まあ五月蝿かったこと…^^;
ある時、祖父は私にお小遣いをあげると言って来ました。
私は、それを聞くと、瞬時に欲しいものが頭に浮かび、それを買いたいと祖父に言いましたら、文句を言われたことがあります。
祖父は、貯金をするために渡そうとしたのに、買うとは何事だ!なんです。
それを聞いていた母は
「お金は人を喜ばせて、初めて生きたお金になる。
でも、お爺ちゃんは、人を驚かしたり、悲しませたりする為の死に金だ。」と。
時代背景や環境によって、考え方も変わるように、思いはそれぞれ違うもの。
祖父がどんな気持ちを持って、お金を渡すのか。
また、どう使って欲しいのかを、明確に伝えれば口争いにはならなかった筈です。
お金とは人の手の中を行き来するもので、色んな思いがあって当然ですからね。
お金より大切なもの
お金の切れ目が、縁の切れ目とコトワザがあります。
お金があるうちは、人が集まってくるけれど、お金がなくなると縁も切れるという世知辛いコトワザです。
確かにお金は大切ですし、お金がなかったら生きていけません。
でも、どんなに頑張って貯めても、死んだらお金としての価値も、紙切れとしての価値も、価値すらなくなります。
祖父が苦労して貯めたお金も、祖父は持って天国にはいけませんでしたから
生きている時だけしか使えないのですから、最低限必要なのは
- 食べるためのお金
- 身を守るためのお金
これさえあれば、幸せに暮らしていけます。
あとは、オマケ♪
そう考えると、我が身1つで生きるためだけなら、持っている財産で優劣をつけたり、通帳を見てため息をつく必要はなくなります。
身を守れる場所や物があり、食べられたら良いのですから。
そして、お墓にも持っていけるもの…つまり最終の形を想定したら、本当に大切なものが見えてきますね。
それでもあなたは「お金」ですか?
私は、やはり家族との思い出ですかね。